渋沢寿一について

1952年、東京生まれ。
幼少期を父の赴任先であるタイのバンコクで過ごす。高校時代は学園紛争で社会が混とんとするなか、地に足がついた生き方を求め、東京農業大学に進学。東京農業大学大学院博士課程修了。

1980年、国際協力事業団(JICA)専門家としてパラグアイ国立農業試験場に赴く。帰国後、1983年よりテーマパーク「長崎オランダ村」、生態系公園「長崎バイオパーク」、循環型都市「ハウステンボス」の設立に携わり、取締役として、社長室長、法人営業部長、東日本営業本部副本部長等を歴任。企画段階から建設・運営段階まで経営に関わる。

ハウステンボスは雨水の利用、海水の淡水化、下水の高機能処理、地下の構造設計、液化天然ガスによる地域連暖房システム、コ・ジェネレーション発電・熱利用システム、燃料電池、ゴミの分別と再利用、堆肥化、それに併せた物流システム…と、最先端の環境技術を取り入れた施設であったが、お金で解決する環境問題(科学技術)の限界を知り、1995年退任。

1995年からは、ベトナム、ミャンマー、エクアドルなど各国で、マングローブ林の復元と集落の持続可能な経営、中国内陸部の国営企業の立て直しなどに携わる。

1997年からは、NPO法人「樹木・環境ネットワーク協会」理事長として、日本や各国の環境NGOと森づくり、地域づくり、人づくりの活動を実践。地域の里山保全、奥山の環境修復、都市の緑地や公園のメンテナンスなどを、NPO、企業、行政との協働で進める。
(2017年理事長退任)

また、2002年より、林野庁、文部科学省、公益社団法人国土緑化推進機構とともに「森の聞き書き甲子園(現在は、聞き書き甲子園)」を主催し、マタギ、炭焼き、樵など「森の名手・名人」の知恵を現代の高校生につなぐ活動を行う。07年その活動母体としてNPO法人「共存の森ネットワーク」を設立し、現在は理事長。(2010年より主催者に農林水産省、環境省も加わり、海・川の聞き書きも開始)

環境教育の面では、豊田市、トヨタ自動車、NPO共催の新環境教育プログラム「豊森(とよもり)なりわい塾」 実行委員長を務め、過疎地に定住する若者の育成を進めながら、多業(マルチワーカー)社会の実現を目指す。(2011年―2022年)。他に、「真庭なりわい塾」塾長(2016年―現在に至る)、「いとしろカレッジ」(2016年―現在に至る)、「三方ソーシャルビジネスカレッジ」(2018-現在に至る)、「トヨタ白川郷自然學校SDGs担い手養成講座」(2021年―現在に至る)などで講師等。

社会づくりでは、バイオマスを活用した地域づくり事業を手がけ、岡山県真庭市では1998年より「資源循環型事業連携協議会」会長、「真庭市バイオマス利活用推進計画策定委員会」委員などを務め、「里山資本主義」の実現に携わる。「真庭バイオエネルギー株式会社」代表取締役。他に、愛知県豊田市の一般社団法人「おいでん・さんそん」アドバイザー、地域再生マネージャー(総務省・一般社団法人ふるさと財団)、「福井県里山・里海湖研究所」アドバイザー、NPO法人「山里文化研究所」理事、NPO法人「ちんじゅの森」副理事長(2021年退任)、旭川地域づくりNPO「かわうそ倶楽部」副理事長(2020年退任)などを務める。

その他、「渋沢事務所」代表、一般財団法人「地球共生ゆいまーる」評議員、公益財団法人「真庭エスパス文化振興財団」理事長、「世田谷コミュニティー・ファンド」評議員。


株式会社「エスパシオ」代表取締役、株式会社「親和興業」代表取締役、株式会社「森里川海なりわい研究所」代表取締役。株式会社「オフィスキ・ツ・ネ」取締役他、株式会社「旭川開拓舎」、「石徹白(いとしろ)洋品店」株式会社等の設立に関わる。

世田谷区教育委員(2012年―現在に至る)、國學院大學講師(2002-2023年)他。

明治の実業家・渋沢栄一の曾孫(IHIやいすゞ自動車を創業した、三男正雄の孫)、農学博士。

渋沢寿一の講演会を聞いた
全国の中高生から届いた感想文

You Tube にて渋沢寿一と中尾伊早子のラジオ
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